日記9/14

昔から自暴自棄になると誰かを傷つけてしまう。そうして疲れや感情を処理しようとしてしまう。自分は最低だと思う。平気で人を傷つけるし、善人のフリをしたって、いい人に見られようとしたって、悪いとこが現れてしまうし、いつか自分に返ってきてしまうのだ。

ただ傷つけた人にはごめんなさい、怖がらせてごめんなさい。僕はもう少し違う努力をします。カウンセラーに相談してみようか考えています。同じ事を起こしたくないからです。ごめんなさい

悲しい夏の終わり

最近はただただ疲れている。いつかカウンセラーに相談したPTSDの症状?の予期不安は、出てしまったものの、この予期不安は悪い方に、そう「思考は現実化する」ではないが、考えれば、考えるだけ悪い方に現実化してしまいそうになる。それに気づいたので、少し寛解したような気がする。

朝、出勤するためアパートの階段を降りると転んでしまった。今も左膝は痛いままだ。お風呂に入る元気もなく、ただ畳んだ布団に上半身をのせ床にかけて張り付いている。そして夏の残滓の虫の声を聞きながら、今スマホでこの文章を入力している。

自分の今までの短かくて長い生は、ゆらゆらと地震計か何かのように揺れているように思える。若さからなのかわからないが、か細く、消え入るような線でただゆらゆらと揺れながら刻み続けている。時々、線は大きく乱れる。そしてしばらくするとまた小さくゆらゆらし始める。そのか細い線を俯瞰してみている自分がいる。針が折れる事に期待しながらも線を刻み続けている。こんな生活にいつか終わりは来るのだろうか。

亡くなった親族や友人達への申し訳なさから、余計に自分に罪の意識を感じてしまう。自分の不甲斐なさもどうにかしなければ。

いつかの日記

夜、車を運転していた。開けた窓から入ってくる夏草と土の混じった匂いを嗅ぐと泣きたくなってしまった。

小さい頃、外で遊んでいた時も、土方仕事から帰ってきた父の作業着やカバンからも嗅いだ匂いだからだ。あの時仕事に行く父や帰ってくる父、そう父の事がヒーローに思えていた。

しかし、都会の私立高校に入ってそれは変わってしまった。周囲はみんなプチブルというのか中途半端な金持ちで、そんななか土木作業員の父を恥ずかしく思い、建設会社で働いているというあながち嘘ではない誤魔化し方をしていた。

今思うと中退で土木作業員で、金持ちの親族から見下されながらも、子供を東京の私立にまでいかせて、本当にすごいなと思う。(世の中は貧乏人をうまくいってない人と判断してしまう)

結局父や母と暮らした家で、金持ちの親族から犯罪の被害にあったことから、今は誰にも住所を教えず私一人で暮らしている。

入居してから何人も隣人は変わった。生活保護を受けながら娘からのDVに逃げてきた母親、逆に友達から逃げるためにいきなり引っ越した若い男、そして、今僕の隣の部屋には、大学を出たばかりの女の子が住んでいる。

その子は引っ越したばかりの時ははよく両親がきていたし、今も土日は車がないからおそらく実家に帰っているのだろう。

結局、自分にはそんな風に帰れる状況の実家もなければ、家事のハウツーを教えてくれる人もいない。今月は掃除で窓を割って7万はらったし、今日はネットで簡単な詐欺に簡単に引っかかって、3千円払ったし、ろくな生活をしていない気がする。

今日夏草の匂いや土の匂いを嗅いで、思ったのは今こんなサマを父に見せられるのだろうか?という事だった。

今67歳の父は何をしているのだろう。

唯一優しくしてくれた親族は、父が腕の怪我をして仕事を辞めた事、今職を探している事。そしてその親族も衰えを感じ体に自信を無くし、先を憂いている事などを電話で教えてくれた。

別に親は偉大ですとか、育ちのいい人が言うようなセリフを言うつもりもないし、公の場で極私的な事を書きたくもない。

ただこんな一人の夏をあと何回過ごさなければいけないのだろう‥

親が成人した子供を心配し続けるように、僕も両親を心配しづづけている。

日記6月13日(日)ー台所でくつろぐ

今日は11時くらいからもそもそと動き始めた。まず生まれてはじめて 柔軟剤を買い、近所の食堂で大盛焼きそばを食べ、家に帰り柔軟剤を使って洗濯。取り出すと確かに感触や匂いが全く違い 、仕事で自分が運んでいる商品、そして自分の仕事はこんなにも役立っているのかとなんだか嬉しくなった。「君たちはどう生きるか」の内容を改めて実感した。

それから窓ガラスを掃除することにした。その時事件は起こった。
なんと防犯の窓ガラスはあまりにも重く、そのまま下に落としてしまい壊してしまったのだ。
ついでに下の方の植木鉢も倒してしまった。
下の方に謝りに行くと ご年配の女性の方で 優しげな笑顔で 笑って許してくれた。「あなた綺麗好きなのね、外側なんて洗ったことないよ」そうとまで言われてしまった。

人に当たっていたらという恐怖、リスクのつきまとう怖さ、そして人の優しさを同時に知ったような気がする。

それから、仕方ないから窓にビニールを貼ったけど、虫が入ってきてしまうから、電気を消して今は台所でくつろいでいる。
いつかこんなことも笑い話になるといいな なんて思いながら 暖かい光に照らされ、文字を打っている。
きっと不幸に見える出来事もいいことに繋がっていると信じたい。
人生、よかったこととよかったこと